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さて、ここは他愛ない お喋り のページです。
息抜きに、お気に入りの紅茶を淹れてみるのはいかがですか?
もし夜も更けていれば、珈琲でも召し上がりながら、寛いで御覧下さい。

第1回 ガリバー旅行記 へ


率直(フランク)にいこう Let's Be Frank 1998-05-30 #1
ブライアン・W・オールディス著 1957年

 フランク一族の短編SF、人をくったタイトルです(邦訳タイトルもね)。
おそらく多くの人にはけったいな作品と思われるであろうほどの、強靭な想像力による世界が繰り広げられる作品を次々と世に送った著者の、比較的マイルドな物語。
 短編?一発ネタの小噺でしょ?
とタカを括った勘違いは損のもと。上方落語のセンスを思わせるこの作品は単に僕のお気に入りというだけでなく、ジュディス・メリルが 1955-59年 に編集した年刊SFアンソロジー五冊八十四編から、さらに選りすぐった「傑作中の傑作」二十九編の一つです。

 それは十六世紀のイギリス、青ひげ公爵とも呼ばれた国王ヘンリー八世の時代。
フランク・グラッドウェッブ卿に授かったフランク二世。息子が覚醒した時、卿は自分の若い肉体に気づきます。

「短編なのにネタばらしてどうする!」なんて慌てずに。醍醐味はここから始まるのです。

連綿たる永続性
 image若さを手に入れる、という、もっとも古層の不死テーマが示された後、あっけらかんとストーリーが展開します。クローンや人格の電脳移送などに小細工を変えたバリエーションが様々にあるなか、これほど直球勝負に出る作品のなかを散歩するのは、痛快です。

 例えばエジプトのバァは、いわば解脱した魂の相ですが、個々の人物 A,B,G の生涯として存在する飛び飛びの時空を縫うように、一つの魂が生き繋がるマジカルな考え方が示されます。容姿は変わっていくものの、これもまた上に書いた伝統的スタイルにのっとった不死アイテムでしょう。(バァは手を差し出した人面鳥に描かれる)
 そして本作品はこの「転生」を更に上回るシチュエーションで不死テーマを展開していきます。何てったって「率直に」。

では、ギリシア神話を中心に不老不死テーマを漁ってみましょう。

まず個々の確認。個性ってそんな単純なもの?
 ギリシアに限らず、機能を分担する神々を想定した世界各地の神話では、一柱の神が複数の神権を兼ねたり、逆に複数の神が一つの神権を共有する例は茶飯事です。各地で別々に発生し、ごひいきされた訳ですから、当然そうなるでしょう。ですからまず個々を名称で区別する、と、ここでは取り決めておきます。
それに、神々のキャラクターは一言で要約できる「駒、カード」ではありません。人間や動植物(と言うとディオゲネスが吠える)、イヤなによりあなた自身だってそうですよね。
 *ちょっと脱線。
例えば「色欲ゼウス」とか「嫉妬狂ヘラ」とか言い切ってる人が居ますけど、安直過ぎて笑えます。神話は十人十色の解釈で構わないものだけど、上のような言い方は、古代ギリシアの敬謙な人々を侮辱してますね。
「電気イス販売人エジソン」とか「オカルト好きニュートン」とか言うようなもので、言う人の人格の方が貧しそうでしょ。
100年後、1000年後の人々は僕らのモラルをどう言うでしょう。現代日本のモラルで判断するのは、もったいない読み方です。
 むしろ、色々なインクの滴を一面に落とした和紙のように、神々は互いに属性をオーバーラップしていて、例えば「ヘカテ!」と名を呼ばれた時に「月や死や成長や旅に関わる、優しく忠実で恐ろしい女神」として色ムラの一つから姿を現すかのようです。
(言わばサーチエンジンの検索キーワードが「召喚」か。それと確率分布)
 逆に本題の、年齢差のある別神が一つの神権を共有する例も同じ事が言えます。

Type 1 phase
 大地なす豊饒女神デメテル−ペルセポネ母娘は、エレウシス秘儀で(こういう祭式を受けたのは二柱だけじゃないんだけど)、単一女神の相補的な母娘形態という特徴が顕著に増幅された好例です。
 もとより、豊饒なる大地女神の系譜設定は更に、始原母神ガイア → 地母神レア → デメテルと溯っていて、クレタ・小アジア系女神レアは、歴代の牡鹿王を夫とするケルト女神のように様々な「大地|豊饒|狩猟|豊作|多産|死」女神達とリンクしています。
 他には、不死の林檎を所有するヘラ−ヘベ母娘などが挙げられます。ヘラに最も憎まれた私生児ヘラクレス「=ヘラの栄光」が、最後に天上に迎えられヘベと結婚する大団円も、興味深いテーマを抱えているように思えます。

Type 2 series
 海の大女神テテュスの娘メティス、その姪テティス、という三者にも判り易い相似性が見えます。
メティスもテティスも「父を凌ぐ男子を宿す」設定を持ち、それを恐れた司神ゼウス(と海神ポセイドン)によって、メティスは女神アテナを、テティスはトロイア戦争の猛将アキレウスを、とそれぞれ有名な誕生逸話へ続きます。
 更にそこから、別系統の不死テーマ「進化」を語る試みも出来ます。
ちなみに、あまりにもアザトい擬態を持ってる昆虫とか見て思うのだろうけど、
環境に優位に働いた遺伝は全て本当に偶然の産物?
という問いかけは絶えませんね。『フランクにいこう』(や『地球の長い午後』)にも少しその暗示が見えます。
ただし、ヒトを産むサルとか、カミを産むヒト、なんて発想はいただけません。ヒトはヘンなおさるさんに過ぎません。

Type 3 pallarel
 匠精ダクテュロイ「指」たち、ミュルミドネス「蟻」たちは名称から機能が判り易い例ですね。やや全体主義。マスターの居ない分身たち。でも虫や森は没個性なのでしょうか? いえ、群体*1という発想はここにも活きているように思えます。それで群体は何を考えているのか。『フランクにいこう』では一つの欲求が提示されています。

 *1: 各細胞が集団社会のように「分業」している多細胞生物と、単独で生命を維持する単細胞生物。そのなかには群体と呼ぶ塊を構成するものもいる(例えばサンゴ)。生命機能面では個にして全、といえる。

若返り
 すぐに連想するのは、永遠の花嫁ヘラが毎日浴む泉、カナトス。この水浴で彼女の神体は毎日、結婚前日に戻ります。
 シュメール神話で、親友エンキドゥを蘇生すべくギルガメシュが求めた若返りの海草のように、ギリシア神話にも(北方ゲルマン神話にも)生命力に満ちた果実、黄金の林檎があります。
これらに「養老の滝」よろしく、生命水(潤いや瑞々しさの象徴)が関係しているのは、言うまでもありません。しかし西の際(事実上はそのまた向こう岸)に有るそれは、エリュシオンの野やヴァルハラ丘でようやく英雄達が不老不死を得る事と直結しているのかもしれません。
 * 黄金の林檎→ヘスペリア → ギリシア神話設定集

うつし、視点の限定(主観的見地)
 光源氏が『源氏物語』全編で求め続けた、次の三人はどうでしょう。
桐壷の更衣(生母) → 藤壷の宮(継母) → 紫の上(継母の姪、妻)
視点を光源氏に限ってみると、彼女たちはまるで同一人物であるかのようです。ただしその女性にマドンナの要素があったとしても「母」だと言い切るつもりはありませんが。つまり、いきうつしです。
なぜなら、古語「うつし」には、copy「写」と shift「移」の違いがありませんでした。

複数の自我
 だからこそ、自分に置き換えたとき昔の人は鏡や写真を拒みました。
自分がここだけでなくそこにも居る。そういう状況にいつか現れるであろう感情は、多重人格の発生に対する恐怖と似ているのでしょうか。ナルキッソスとエコーのエピソードは、まさに「第二の我」が引き起こした悲劇と言えるかも知れません。
 ナルシズムは「第二の我」の存在を自覚しないとできません。ややこしい言い方をすると、己惚れは自分の主権・統治権・所有権があって成り立つもので、でないと「第二の自我、“影”に自分が取って変わられる」恐怖に変わってしまうからです。
 冥土の花、死の花でもある水仙への変身は、水面に「映」った第二の自分に心を「移」した事による死(実体の消失)と言えるし、エコー(木霊)が「実体」の声だったとしたら、エコーに応えなかった報いとも言えます。
 * ナルキッソスとエコー → ギリシア神話設定集

赤い鳥
 今や不死鳥として知られる火の鳥は、吸血鬼ドラキュラ伯爵のように自らの灰から姿を取り戻し、永遠の生を持つ象徴とされていますが、その名は、赤い染料の産地で知られる地中海東端に紀元前20世紀に栄えた国ポイニキアと同じく赤い鳥、ポイニクスに由来します。タイル画に描かれたポイニクスはカナリヤのようで神性は見えません。遠いエジプトで「異国カナンに棲息する火の鳥」伝説が生じたのです。
 ポイニキアはフェニキアと、ポイニクスはフェニックスと呼ばれた訳ですが、ポイニキアが変遷を経て1944年レバノン共和国となった今でも、フェニックスの名は変わらずに残っています。

SFベスト・オブ・ザ・ベスト(下) ジュディス・メリル編 創元SF文庫
ISBN4-488-61309-8 C0197 P600E
B.W.Aldiss 他の作品
地球の長い午後
(原題:HOTHOUSE)
伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫
ISBN4-15-010224-4 C0197 \544E

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